【連載コラム】ネオ・スターシード:3i0(ミオ)の覚醒 〜第1回「暗黒期前(スターシードの私)」〜

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子ども時代の私

子ども時代の私は特にこれが嫌だったといった思いや大変だったという思いもなく過ごしてきました。
祖父母、両親、兄弟姉妹の8人家族。
けんかやその時々でつらいことはありながらも、楽しい思い出もある。
そんな普通の私でした。

皆がスターシードなのでは?

もちろん、自身がスターシードだという自覚もない。
スターシードだという人は壮絶な体験をしているという認識があったので、スターシードというコトバに惹かれてはそのことに関する本を読み、「皆そうなのでは」と疑っていました。

自分自身の核となったこと

一つ変わっていただろうなと思うことは、毎朝仏様(お仏壇)にご挨拶をすること、祈りのコトバを唱えることでした。

“人は皆神の子である”という宗教の教えや学びの場に小学生の頃から強制的に参加していました。
楽しいだけではない、団体生活の場で苦痛だったのです。
ですが、嫌だといいながら実質のところ、お菓子につられて参加していました。
知らぬ間にそれが物事を判断するときの私自身の核となりました。

スピリチュアルのジャンルにはならないような本や児童書の中にもそのエッセンスを見つけては「そうそう、これはホントのこと」とよく思っていました。また、人の良い面をみつけることも頻繫にしていました。人の嫌な面を見てもよいところもあるという相手への尊敬が常にありました。

「ここから飛び降りたら死ねるかな」

そして、私の中で当たり前のように思っていたこと。

それは、「ここから飛び降りたら死ねるかな」ということでした。
それは高いところに登ったら必ず思うこと。
車に乗るようになったら山道の急カーブでここから転落したら死ねるのかなと思っていました。

何かつらいことがあるからそう思うということでもなく、もちろん、実際にそうしたいということではなく、辛いも嬉しいも感情もなくただそう思う。そのような感じでした。

次回、連載コラム「ネオ・スターシード:3i0(ミオ)の覚醒 〜第2回」の掲載は、2月28日(水)を予定しています。

レムリアンライター : 3i0(ミオ)

すべての人の本質は神様であるという軸を持ちながら、自己否定と周囲との比較が鳴り止まず、常に周囲の声を優先していた。自分の好きなこと、感じていることが分からなくなり、自分探しの日々。『レムリア』という言葉にただただ惹かれ、レムリアの魔法学校を受講し国際認定ヒーラー認定証を取得。人の感情と常に同調していたけれど、人と自分の境界を保つことができるようになっています。自己一致して生きることを探求中。

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