コミュニケーションへの恐れ
人としゃべることが怖くなり、自分の発するコトバが怖くなりました。
自分の発するコトバに怖さを増していくのと同時に人の目が怖くなっていきました。
ですが、話すことに対する抵抗感はもっと以前から持っていました。
「私はしゃべれない」という自己暗示をどんどんかけていきました。
話すことに対して常に見えない高い壁がそびえたつ、そのようなイメージと感覚を常に持っていました。
特に人前で話す時、あるいは人前でなくても少人数でも輪になって自分の感じたことを話していくとき。
とても緊張します。
何を話せばいいのか。
どの話しをどのように話せばいいのか。
そもそも、自分の内側で何を感じているのか。年齢を経る毎に、自分自身が何を感じているのか、全く分からないでいました。
何をしたいのか。どうしたいのか。話すこと以外にも好きなことやものにおいても同様でした。
一番苦手な質問は“どうでしたか”。
レムリアの魔法学校での発見
“どう”って何だろう??
相手の質問の意図や相手が何を聞きたいのかわからずに混乱を生じていました。“どう”と言われても自分の中には何もないように感じていました。
だからなのか中々しゃべりだすことができずに沈黙が続く。
あるいはスムーズにコトバがでないか。
だったりしていました。
けれども、レムリアの魔法学校を通して少しずつ話せるようになっている自分がいます。
レムリアの魔法学校では必ずチェックインから始まります。
自分の内側で何が起きているか、何を感じているか。
今この瞬間の私の内側を言語化すること。
外側の出来事には敏感であったのに、外側に意識が向けば向くほど内側には意識がほとんど向いていなかったということが今ではよく分かります。
いつの間にか外側を基準にすることが正解となり、当たり前となり、そして内側の感覚も閉じざるを得なかったのかもしれません。
ワークを通して、また更に自分の内側に向かい、そして、自分自身の制限を外していくことで行動変容を起こしやすくなっているのではないかと感じます。
また、日常でも日々自分の内側が何を感じているのかを自分自身が知っていること。
そのことにフォーカスしていく術を身につけていく場でもあったのではないかと思っています。
そして、人の目を見ることができるようになっている自分がいることも発見しました。
目を見ることの恐怖からの解放
レムリアの魔法学校に入る前、人の目は怖いままながらも、癒されていくうちに外に出かけることはできていきました。
人と話す時に下を向いて話すのも失礼かもしれないと思っていた時に、目を合わすことができなくても、額か胸のところを見ればいいということを見たことがありました。
けれども、一瞬でも目を合わせるということはできませんでした。
それは、対人だからということはもちろんのこと。
対人ではなくハイヤーセルフとも、どんな存在であっても同様でした。
ハイヤーセルフと対話する、繋がるという概念もなかった私には、ハイヤーセルフと目を合わせるということも考えたことがありませんでした。
ハイヤーセルフとの繋がり:愛と受容
瞑想の中でのハイヤーセルフと繋がる時間。
レムリアの魔法学校の秘儀に触れたころの私は、ハイヤーセルフと目を合わすこともとっても頑張る必要がありました。
すぐにそらしてしまいそうになる自分、目を合わせることを拒否したくなるような自分を必死で耐えながら目を合わせるようにしていました。
いつからか、自然に目を合わせていました。目を合わせることが怖くなくなりました。批判など一切ない、愛と受容に満ちた安心感を感じていきました。
今では気付いたら人とも目を合わせることができるようになっています。
いつから人と目を合わせられるようになったかも忘れていたほどでした。
レムリアの魔法学校とともに:日常生活での気付きと喜び
気付くと時々以前の私に戻っているように見える私がいます。
そのことに気付いた時に、また改めて思い出してハイヤーセルフと目を合わせ、自分自身の内側に意識を向けていく。
行きつ戻りつしている私ですが、レムリアの魔法学校を通して出会う方を通しても気付かされています。
日常に気付きが増えて、喜びが拡がっていく。
そんな瞬間を増やしていきませんか。
レムリアンライター 3i0 (ミオ)
・レムリアの魔法学校
└国際認定ヒーラー
すべての人の本質は神様であるという軸を持ちながら、自己否定と周囲との比較が鳴り止まず、常に周囲の声を優先していた。自分の好きなこと、感じていることが分からなくなり、自分探しの日々。『レムリア』という言葉にただただ惹かれ、レムリアの魔法学校を受講し国際認定ヒーラー認定証を取得。人の感情と常に同調していたけれど、人と自分の境界を保つことができるようになっています。自己一致して生きることを探求中。