相島小学校での創作音楽劇と光の道
宮地嶽神社の参道は、元本殿のあった場所から真っ直ぐに海に向かって伸びて
います。そしてその海には正面に相島が浮かんでいます。

宮地嶽神社の参道=「光の道」の先にある相島。その離島にある極小規模校の相島小学校にわたしは赴任することになりました。
相島は新宮漁港から北西約7.5kmの距離にあり、周囲約6kmの小さな島です。新宮漁港から出ている新宮町営渡船に約20分乗ると相島に着きます。
わたしが相島小学校に赴任した年、全校児童は33名。
校舎は海に面していて、校舎を出て幅2メートルぐらいの道の先はもう海です。2階の教室から外を見ると、海しか見えません。
そんな自然豊かでアットホームな小学校で、わたしは全校音楽という仕事を担当することになりました。
創作音楽劇の提案へ
当時はバブル景気真っ最中で、都会的なもの、物質的なものがもてはやされた時期だっだからでしょう、島の子どもたちは、一様に「島なんてつまらない」「島には何もない」「そんなところに住んでいる自分たちは町の子どもたちには敵わない」…自己価値観がとても低い印象を強く受けました。
こんな綺麗な自然があるじゃないと伝えても、自然なんてあるのが当たり前だし、あっても何かになるわけじゃない…こんな返答しか得られませんでした。

そして何より、わたしが大好きな歌を子どもたちが小さな声でつまらなそうにしか歌わないということに驚きました。子どもたちは楽器の演奏はとても上手で音楽に関心がないわけではないのだけれど、自分をストレートに表現する「歌」を歌うことにとても抵抗を感じている子がほとんどでした。それは、本当に残念なこと。
そこで、島の良さを感じ取ることができて、歌も歌いたくなるような何かを音楽で作りたいとわたしは考えて、思いついたのが創作音楽劇でした。
島を誇りに思う気持ちを育てるには、島の良さやすごさを理解するのが一番いいので、島に伝わる伝説や歴史、文化を題材にして台本を作り、一人一役の登場人物を作って、その役には必ず歌を歌うシーンがあるようにしたのです。
子どもたちの変化
秋の文化祭(当時は祖父母参観という名前でした)で発表する演目に、創作音楽劇を入れる提案を職員会議に出して、先生方の賛成と協力を得て、相島小学校の創作音楽劇はスタートしました。昭和63年度です。
子どもたちにこの創作音楽劇を提案する時、子どもたちはどんな反応をするのかちょっとドキドキしたのですが、1年生から6年生まで全員の子がなりたい役に手を挙げ自ら立候補してくれて、歌を歌うことも承諾してくれたのでした。

それまで、音楽の時間に絶対に歌を歌わない女の子がいました。その子が選んだ役は、ソロで歌う曲がある役でした。大丈夫?一人で歌わないといけない役だよとその子に確認するとその子は頷き、歌うと言います。そうか…でももし、歌えなかったとしても仕方ないなと思っての本番。その子はステージの上でたくさんの観客に向かって堂々と歌を歌ったのでした。
この創作音楽劇の経験から、子どもたちは少しずつ変化を見せていきました。
日本や世界へ羽ばたく創作音楽劇
わたしが手がけた創作音楽劇は30分ぐらいの劇で5本あります。
「ぼくの島には犬がいない」→「ぼくの島は猫の島」
「龍王さまのお祭り」
「相島龍宮伝説」
「歴史めぐり物語」
「石の唄ひびけ」
どの劇も何度も再演されて、令和の今も相島小学校で上演し続けてくれています。「石の唄ひびけ」は平成16年度の国民文化祭で上演し、翌年平成17年度には韓国プサンに招かれて上演もしてきました。
この、創作音楽劇づくりが今、わたしの光の道に繋がっていることがみえてきたのです。
次回のコラム「創作音楽劇づくりと光の道」で、そのことをお話ししたいと思います。



HI TO MI
・レムリアの魔法学校
└国際認定ヒーラー
└多次元ヒプノセラピスト
・AXメソッドNewYork ボーカル&ミュージックインストラクター
・音楽教室運営・講師(対面とオンライン)
・小学校教員としての経験(教諭・教務・教頭・心の相談員)
これら全てをかけ合わせたセッションと音楽レッスンをしています。体のバランス、呼吸に焦点を当てたボーカルレッスンで、身も心も軽やかに整っていく、そういうレッスンを提供しています。スターシードとしてここに辿り着き、使命を果たしていきます♡
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